「表現は、なにも上手である必要はない」岡本太郎による越前陶芸村の改修時のアドバイス
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福井県越前町の県陶芸館で特別展「岡本太郎のやきもの」が去年(2014年)の12月7日まで開かれていたので、わたしは岡本太郎ファンということで行ってきました。
まだ雪が降る前のことです。
特別展示イベントは写真撮影NGということで上記以外の写真はありません。
しかし、メモならOKということだったので、壁に飾られていた文章だけメモっておきました。
自由に表現出来る場所を
どうやら福井県の越前陶芸村を改修する際に、ご縁のあった岡本太郎氏からアドバイスを頂いていたそうです。
>岡本氏は1950年ごろから、友人である生け花の草月流三代家元、故勅使河原宏氏が越前陶芸村内に開いた陶房をたびたび訪れ、自身も作品を作った。生け花の家元で映画監督、かたや造形作家、画家などと、お互いが多彩な才能の持ち主。交流は長く続いた。
【福井新聞】 岡本太郎と越前町 作陶の縁、熱い芸術身近に | THE 社説一覧
今から30数年前に頂いたアドバイスの手紙が特別展の壁に書いてありました。
いい言葉があったので、あとでネットで調べようと思いましたが、なんとどこにも載っていません。
なので、スタッフの方に相談したところ、メモするならOKという許可をいただいたので、メモっておきました。
みんなが参加できる創作の場を・・・画家 岡本太郎氏に聞く
「自由に楽しめる場所を」
あまり陶芸ということに限定しないで、芸術一般のセンターにしたらどうか。
この計画だと陶器ばかりで狭い国境を作ることによって虚しさの出てくる恐れがある。
大きな部屋を作って壁に紙貼っていたずら書きを自由にできるようにする。
絵の具をつかったり、生の焼き物みたいに焼き上がらないとわからないものとは異なった、直接に、ぱっと、こう、表現できる絵や歌をうたう場所。
人間が全身のエネルギーをはき出すことができるスペースも作ったらどうか。いまはなんでも専門化されていて、あれはうまいとかへただとか、まるで人格まで判断されることが多いが、もっと自由に表現できる、表現というものは何も上手なものを作ったり描いたり、まずくてがっかりするんじゃなくて、へたはへたで結構に楽しめて、心身ともに自由に動かせる場所を中心にしたら良いということだ。
【小指のはたらき 渡部智 】
岡本太郎氏らしい文章だなあと思いました。
「芸術」を形式張ったものにするのではなく、誰でもカンタンに直感的に体験出来る場所を作ったらいいというワクワクする内容。
失敗することを怖がってなにも手を出せなくなっている現代にこそ、必要な考え方ではないでしょうか。
Teruyuki Kobayashi
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