わたしのこれまで20年間の生き方を振り返るブログ①(全5回)
2016/11/21
ちょうど、自分のこれまでの半生を振り返るチャンスがあったので、自分のブログにもまとめておきたいと思います。
最初は、仕事を継ぐとは思っていませんでした
1994年4月、福井県の進学校(高志高校)を卒業後、石川県の金沢大学入学とともに居酒屋「つぼ八」でアルバイトをはじめます。この時点ではまさか自分が経営者として父親の仕事を継ぐとは思いもしませんでした。
大学3年生のとき、当時「つぼ八」フランチャイズのほか、独自業態店など18店舗ほど持つ飲食グループを経営する会社に惚れ込んで、大学を中退して中途入社しました。
退社するまでの9年間で居酒屋からバー、ファーストフード店まで10業態を超える店舗に一般社員から店長まで経験し、調理師免許も取得。20代後半には誠実な仕事ぶりが評価され、部長職として多店舗のマネジメントに携わり、ここで経営の基礎を身につけることができたのでは、と思っています。
一方で社内教育機関のグループに抜擢され、200名以上の社員アルバイトに対する社内セミナー事業などを通してイベントの構成、進行などを学びました。この時の経験が、現在の発想や行動に繋がっていると感じています。
27歳の大きな人生の転機
27歳になり、ある程度将来が見え、独立して飲食店を立ち上げる夢も見えだした頃、長年の約束だった7年間待たせた彼女と石川県金沢市で結婚式を上げました。しかし、その結婚が人生を大きく変えるきっかけになったとも言えます。
それは、結婚式の後ハワイに一週間、新婚旅行に行ったのですが、その旅行の帰りの電車の中で、ちょうど旅行中に、勤めていた飲食会社に民事再生法が適用されたことを電話で知らされたからです。
結婚して心機一転、さあこれから・・・!という矢先に、将来の夢どころではなく目の前の社内の整理が始まったのです。(縮小して再建し、現在は順調に経営されています)
これまでわたしは学校の受験ひとつとっても要領が良く、器用で、なにかと失敗のなかった人生だったのが一転、苦労の数年間がこれから始まることになります。そんな中でも、真摯に苦労から逃げないことだけは忘れませんでした。
家業に転職する決心
民事再生法の適用により事業の縮小や人事の交代など、会社の整理なども一段落した時、29歳になり、母親から実家に戻ってこないかとの提案を受けました。
父親が苦労を重ねて築き上げた工場や設備のこと、その父親を支え続けてくれた4名の職人達とその家族を将来路頭に迷わせてはいけない、という使命感から飲食会社を退職し、福井に戻り、家業である株式会社長田(おさだ)工業所に転職することを決意します。
「わたしのこれまで20年間の生き方を振り返るブログ②」につづく
Teruyuki Kobayashi
最新記事 by Teruyuki Kobayashi (全て見る)
- 長田(おさだ)工業所 2018年のメディア出演・掲載・講演等メモ - 2018年12月18日
- 2017年のメディア出演・掲載・講演メモ - 2017年12月21日
- 2017年5月・6月・7月のメディア出演・掲載メモ - 2017年7月15日