植西聰「禅の教え 余計なことはやめてみる」読書メモ
0732
先日「ミヤネ屋」で矢口真里さんが出演されたときに宮根さんが、
「人生は死ぬまでの暇つぶしのようなところがありますから(深く考えすぎないで頑張ってね)」
と言っていたことが耳に残っています。
あまりいろいろ考えすぎても、人間に寿命がある以上、全てを実行にうつすことは不可能です。
なので思い切って雑念をデリート(削除)してシンプルな生き方、考え方をしようという禅の教えが、この本には読みやすくまとめられています。
「しない」「求めない」「振り回されない」
・「無心」という言葉を「何も考えない」という意味に理解する人がいますが、それは必ずしも正しくはありません。(中略)無駄な心配や悩みを捨て去るということが、禅が教える「無心」なのです。
・「悟りを得る」という大きなことを成し遂げたとしても、そのことを自慢したり、偉そうな態度を取ってはいけないということです。
・余計なことはしなくていいのです。ただ自分に与えられた使命と責任を果たすために精一杯生きていくだけでいいのです。それが最高のPRになります。
・禅の世界には、「賢い人間として生きるよりも、愚かな人間として生きるほうが立派だ」という考え方があります。
・他人によって説かれた「生き方」にこだわるのではなく、自分自身の、いわば本能に従って自由自在に生きてみるほうがいいと、道元は述べているのです。
・「大丈夫。心配するな。どうにかなる。」
・ぜいたくを求めず、質素な生活の中に幸福感や楽しみを見つけ出そうとするのが、禅の生き方なのです。
・ 「妄想」とは、禅的な意味では、「不可能なこと、現実的でないことにいつまでも思い悩むという、まったく意味のない行為」を表す言葉です。
・「心が清らかな人が、ある日突然悪いことをすることもある」と知る
・座禅のやり方をあまり難しく考える必要はありません。一般の人でも、家庭で手軽にできます。足を組むのが難しければ、椅子に座ってやってもいいのです。
・「取り立てて自己主張などしなくても、周りの人たちに自然な形でその人の持っている個性が明らかになっていく」ということが、禅が理想とする生き方なのです。
・「看脚下(かんきゃっか)」という禅語があります。「脚下を看よ」という意味です。「問題を解決するヒントは、自分のすぐ足元にある」ということです。
・「人の言葉を参考にする」ということと「人の言葉に惑わされる」ということは違います。(中略)人の言葉を参考にしながらも、自分の価値観や判断を尊重していくことが大切です。
ともすると、このような生き方は一見「気力がない」ととらえられがち?
しかし実は、ドラゴンボールのセル編で、悟空が精神と時の部屋で超サイヤ人でも自然な状態を保つように修行した結果、超サイヤ人状態に見られる「軽い興奮状態」は克服したような状態なのでしょう。
わかります???
Teruyuki Kobayashi
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