文化の日に考える、「文化」は変えるものじゃないように「個性」も変えるものじゃないということ
継続王に、おれはなる!0367
「文化」とは、総じていうと人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである。
↑「文化」をあらためてウィキペディアで調べてみました。
なんのこっちゃ?という感じですが、言い換えると「象徴的な思考や学習による信念やふるまいのパターン」という意味で使われる場合が多いそうです。
「文化の日」とは
敬老の日はおじいちゃんおばあちゃんを大事にしよう。
体育の日は体を動かそう。
それはわかるんですが、じゃあ「文化の日」はなにしよう?
文化の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としている。
文化の日 – Wikipedia
うーん。調べるほどドツボにはまっていきます。
諸説ありますが、もともとは明治天皇の誕生日だったそうですね。
んで戦後、日本国憲法を交付した日だったので、んで、日本国憲法が平和と「文化」を重視していることから「文化の日」となったようです。
まるでぼくのブログ記事のようなこじつけじゃないですか。
憲法の施行日は、半年後の「憲法記念日」ですしね・・・
かといって「平和の日」でもないんですね・・・
今で言う「みどりの日」と同じような扱いなのでしょうか。
このグダグダ感は、ぼくの昨日の記事に相当しそうです。
(事後報告)実は昨日の記事で毎日ブログが1年経ってました乁( ˙ω˙ 乁)アホ| 鉄工所の二代目社長、時々ルヒィ
そんなに深く考えなくていいから、とにかく「自由と平和を愛し、文化をすすめ」てみましょうか。
「文化」は人間そのもの
で、ぼくが何を言いたかったのかというと、冒頭に書きました言葉にもどります。
「文化」という言葉は「象徴的な思考や学習による信念やふるまいのパターン」という意味で使われる場合が多いそうです。
たとえば日本人の文化として有名な「お・も・て・な・し・・・オモテナシ!!」の文化。
これはぼくら日本人は意識しなくても「おもてなし」してしまう人種であることは皆さん自身経験したことがあるのでは?と思います。
「なにもしなくても」この壮大な日本の歴史から培われた「そうなってしまう」もの。
この時に思い出したのが、ぼくの少し前の記事です。
「個性」は自分の好き嫌いとは違い、何もしなくてもそうなってしまうものだそうです。
好き嫌いは選べるけど、自分の個性はもうすでにそこに備わってしまっているものなので、選べないのです。
国の「文化」を個人の「個性」と置き換えてみると、「個性」を良くも悪くも「変えていくこと」はアリエナイことなんだなあとあらためて実感します。
自分を変えるということは、国を変える革命を起こすくらいの覚悟と行動力と運が必要で、しかもそれが必ずしも良い方向に変わるとも言えないような。
「変える」というよりは、この日本のように良いところも悪いところも清濁併せ呑みながら「おもてなし文化」「モッタイナイ文化」のような、実は世界に誇れる文化を見つけ、伸ばしていく。
これと同じように「自分を変えたい」と考えてもそれは誰にでもできることではなく、実は世の中に誇れるものが自分の中にあることを信じて見つけ出し、伸ばしていく。
というわけで、「文化」はもともと「変えるもの」じゃなくて「変わっていくもの」
と同じように、「個性」はもともと「変えるもの」じゃなくて「変わっていくもの」
「日本じゃないとできない自慢できること」が他国から言われて初めて気付かされたのと同じように、「自分じゃないとできない自慢できること」も他人から言われないとなかなか気付かないものですね。
Teruyuki Kobayashi
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