もしもこの世にお金がなかったら。バリューtoバリューの世界を考える
継続王に、おれはなる!0378
みなさんは、お金が欲しいですか?・・・ぼくは欲しいです(笑)
「もしこの世にお金がなかったら」
でも、こう考えることで、あれほど目的としていた「お金」が、ひとつの手段であり、自分の大きなミッションを叶えるためのツールでしかないことに気づきます。

By: Tax Credits
物々交換の世界までいくと
「お金が無かった時代」
それは物々交換の世界でした。
Aさん(わたし)のトリ肉1キロとBさん(あなた)のブタ肉1キロを交換してください、と言ったふうに。
そこには「信用」がなければ取引が成立しません。
Aさん個人対Bさん個人の個人同士の関係性が、ある程度担保されているからこそ正常な取引が成り立ちます。
でもこのような場合はどうでしょう。
・・・よっぽど背に腹はかえられない!といった状況でも正常な取引といえるでしょうか。
つまりお腹をすかせたAさん(わたし)のトリ肉1キロとBさん(あなた)のお米100グラムでもいいから交換してくださいという状況です。
そこには信用もなにも存在しません。
あるのはAさんはとにかくお米を食べたい、Bさんはたくさんのトリ肉を食べたい、というその瞬間の欲望だけです。
その時代のその瞬間、たまたま多くの食料を持っているものだけが勝者という構図ができあがってしまいます。
でも信用ある取引ならば今度は逆の立場になったときのことを考えて、せめてなるべく同じような重量との取引などを行っておいたほうがいいのでしょう。
このため「持ちつ持たれつ」という日本語があります。
ピカソ本から引用
お金の形状が、大昔は貝から鉱物、そして紙幣で代替され、今ではネットの中の一つのデータとなってきています。
その「お金」の変化に伴って、これからのお金や人との付き合い方など、生き方を大きく見直すべき岐路をこの本は提示してくれています。
この中の文章を引用させて頂きます。
(物々交換と同じような概念、価値”バリュー”と価値”バリュー”の交換について)
与えた物が別の形で返ってくる、お金を介在させなくても価値を直接享受し得る世界に、適合しようとする人が増えている。
だが、バリューtoバリュー(価値同士の交換)の世界のダイナミクスは、損得勘定を超えたところにある。(中略)(その)ためには価値の等価交換から抜け出す必要がある(中略)
たとえば「私がこれだけやってあげたのに、あなたはこれだけしかやってくれない」という考え方は、バリューtoバリューの世界では成り立たない。
このバリューtoバリューの世界には公平という概念がなく、やってあげても返ってこないかもしれないのだ。つまるところ、やってあげた、プレゼントしてあげた、協力してあげた、という「あげた」感をなくして、「無償でもいいから、私がそうしたいからそうしたの」という腹くくり感が必要であり、それが俗に愛と呼ばれるものなのだ
「無償でもいい、という腹くくり感」とは極端な話ですが、お金が介在するしないにかかわらず、本当の取引には「愛」が必要なのではないでしょうか?
まとめ
・もしもお金がなかったら、通常取引の指標はお互いの信用のみ。
・取引で重要なのはお互いの信用。お金は単なる取引のツールである。
・人生の目的を達成するためには「無償でもいいという腹くくり感」が必要。
Teruyuki Kobayashi
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