ブログは宿題です。読者は先生です。
継続王に、おれはなる!0383
こどものころ、当たり前のように毎日宿題が出されていましたよね。
その宿題をやれば将来どうなるのか?なんて疑問にも思わずに、先生がやれというのでやっていました。
ブログって宿題のように考えると、案外毎日書けてしまうものです。
毎日宿題をやる意味は?
ぼくは実は小学校時代は宿題をとことん忘れて学校に行ってました。
というか、ハナから宿題をやる気がなく、確信犯的に宿題をしませんでした。
親からしたら、迷惑なこどもだったと思います。
ぼくは宿題する時間があったら遊んでいたい!というか、宿題が嫌で嫌でしょうがなかったんですね。
これは理由なんてない。嫌いなものは嫌いだったんです。
今思い出すとやっとけば良かった。
でもそこに当時、無理やり言い訳を乗っけるなら、
・宿題やって意味あるの?
・ちゃんと授業を聞いているからやらなくていいのでは?
・宿題するよりももっと勉強になる方法があるのでは?
とかなんとか昔のぼくなら言いそうです。
先生も親も「宿題は大事!」と言うし、まわりの友達も当たり前のように毎日宿題をやっている。
その中でぼくは宿題をやってきませんでした。
「宿題」=「ブログ」
今現在、「ブログを書き続けることは大事だとまわりはいうけれど、なんとなく書き続けることができない人」って、その小学生時代のぼくのようなことを考えているような気がします。
・ブログやって意味あるの?
・ちゃんと仕事がうまくいっているからやらなくてもいいのでは?
・ブログよりももっと大事なことがあるのでは?
とか昔のぼくのように、とにかく書かない理由を少しでも思い浮かべていませんか。
みなさんはこどものころ、毎日宿題するのに、小学生の時のぼくみたいにやらない理由を考えたことはなかったと思います。
先生が宿題を出すから、または親がやれというから宿題をやっていたのではないでしょうか?
そのなにも考えずに当たり前のようにやっていた宿題は、意味がなかったのでしょうか?
こどもの宿題と違い、大人になると、一見意味が無いようなこと、自分が完全には納得できないことに対しては「やらない」という選択肢をとれちゃいますもんね。
「先生」=「読者」
「ブログを書き続けることは大事だとまわりはいうけれど、なんとなく書き続けることができない人」は、なにも考えずにまずその先生や親がわりとなる読者様を作りましょう。
作る方法はカンタンです。
「ブログを3ヶ月間毎日書き続ける」とまわりに言いふらすことです。
それを聞いた方々があなたの先生や親がわりになります。
3ヶ月間限定で宿題を出してくれることになるでしょう。
ぼくの場合は最初に
「ブログを10年間毎日書き続ける」と言ったので、幻の先生が10年間宿題を出してくれていることになります。
昔、宿題をやれと言われてもやらなかった反動で今ぼくはブログを書き続けているような気がします。
このブログを読んでくれているみなさんが、宿題やれ!と言ってくれる先生や親がわりです。
ちなみに
よく、ブログは楽しい!という意見を聞きますが、実際毎日書いていると楽しい時が2割で、あとの大部分は「無」です。
当たり前のように宿題をやっていた感覚じゃないのでしょうか?(ぼくは宿題をやらなかった子なのでわからないのですけど)
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無名の会社員が“ちきりん”というペンネームで書き始め、今では日々数万人の読者が訪れる人気ブログとなった社会派ブロガー、ちきりんさんのブログ運営記録。
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Teruyuki Kobayashi
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